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バングラデシュのカレーダ・ジア元首相が死去

2025年12月30日 19:29

バングラデシュのカレーダ・ジア元首相(80)が死去しました。

カレーダ・ジアは1991年から1996年、そして2001年から2006年の2期に渡り首相を務めました。
 
彼女はバングラデシュ民族主義党(BNP)のリーダー的存在です。つい先日、彼女の息子のタリク・ラーマンが亡命先のイギリスから帰国、2月12日に予定されている総選挙に向けて選挙活動を開始したばかりです。
 
カレーダ・ジアは2024年の「7月革命」でインドに亡命したシェイク・ハシナ元首相の政治的ライバルです。シェイク・ハシナはアワミ連盟という政党のリーダーですが、現在同政党はバングラデシュ暫定政権から政治活動をすることを禁じられています。2月12日の選挙でも候補者を送り込むことは出来ません。
 
バングラデシュの政治は、過去50年の長きに渡り、シェイク・ハシナとカレーダ・ジアという二人の女性政治家の対立で特徴づけられてきました。
 
そこで歴史を振り返ってみたいと思います。
 
まずバングラデシュは1971年に独立戦争によりパキスタンから独立しました。
 
この独立運動を指導したのがムジブ家(アワミ連盟)のシェイク・ムジブル・ラーマンです。彼は軍人ではありません。文民統制を重視した人でした。しかし1975年にシェイク・ムジブル・ラーマンとその妻、長男、次男、三男が軍事クーデターにより自宅で暗殺されました。シェイク・ハシナはドイツ滞在中だったので難を逃れました。
 
バングラデシュ独立戦争はとても過酷な戦争で、経済・インフラが壊滅し、1974年には大飢饉が起きました。それで首相一家が嫌われたということだと思います。
 
政治に空白が出来たので、秩序を回復できる人物としてジア家(BNP)のジアウル・ラーマンという職業軍人の実務家が首相になりました。ところがそのジアウル・ラーマンも1981年に軍内部の反乱で暗殺されました。そこでジアウル・ラーマンの妻、カレーダ・ジアが夫の遺志を継いで首相になったわけです。
 
一方のシェイク・ハシナは1996年から2001年にかけて、さらに2009年から2024年にかけて首相を務めました。
 
今回、カレーダ・ジアが死去したことで、シェイク・ハシナもカレーダ・ジアもいなくなりました。それはバングラデシュの政治が「血の正当性」のナラティブから、次の時代へ移行することを意味します。
 
いまのバングラデシュのZ世代は上に述べたムジブ家とジア家の確執には余り心を動かされません。むしろ近年の抗議行動はクォータ制の廃止、縁故採用の廃止、司法の信頼性、治安機関の透明性などをめぐって起こっています。言い直せば、ガバナンスとアカウンタビリティ(責任の所在)を若者は求めているのです。
 
バングラデシュでは過去の選挙の際、国内がゴタゴタすることが多かったです。従って実業界や投資家も選挙前は動きにくいです。