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フィリピン

2025年11月19日 07:30

フィリピンは7600の島々からなる列島です。同国は一見すると東南アジアの国々の中で最も西欧化した印象を受けます。しかし実際はもっと複雑な文化です。

同国の国土は30万平方メートルで、200の活火山があります。その関係で地震が多いです。人口は1.1億人でそのうち1400万人が首都マニラに住んでいます。
 
1494年にポルトガルとスペインの間で締結されたトルデシリャス条約によりスペインは大西洋から太平洋へ抜けるルートを使えなくなりました。それで代替ルートが必要になりました。それを確立すべく1521年にマゼランがフィリピンに上陸しました。その後、ミゲル・ロペス・ド・レガスピがセブ、パネイなどの島々を次々に配下におさめてゆきました。唯一ミンダナオ島だけは回教徒の島であり、スペインがコントロール出来ませんでした。
 
1700年頃までにはフィリピンは「オリエントの真珠」と呼ばれ、1965年の時点ではフィリピンはアジアで最も進んだ国と言われていました。しかしその後の成長はアジア諸国に大幅に遅れを取り、いまでは遅れた地域となっています。
 
フィリピンはスペインの植民地でしたがホセ・リサールによる独立運動が起き民族意識が覚醒しました。リサールは1898年に処刑されました。しかし米国は当時スペインと敵対的な関係にあり、米国がフィリピン側を支持したのでスペインはフィリピンを諦めざるを得なくなりました。1898年のパリ条約でフィリピンの領有権は米国へ移りました。フィリピン人はてっきり独立できると思っていたので、「アメリカに騙された!」という感情を抱いた国民が多かったです。米国がフィリピンを支配したのは約50年間です。第二次世界大戦後に同国は独立を果たしています。
 
1970年代に入るとフェルディナンド・マルコスが戒厳令を敷き、長期独裁政権が誕生、腐敗、寡頭支配、外国への債務が増大します。1986年のピープル・パワー革命によりマルコスが失脚し、民主化が達成されます。
 
フィリピンのGDPの約70%が個人消費であり、同国の経済は消費主導型です。また国内に良い働き口が少ない関係で海外への出稼ぎが多く、出稼ぎ労働者からの送金が最大の外貨獲得経路となっています。年間約400億ドルがそのようにして流入しています。
 
また国内の景気が悪くなるとフィリピン人は海外に職を求めるため、国内失業率の調整弁の役割を果たしているとも考えられます。
 
フィリピンはBPOに代表されるコールセンターの拠点として知られており約130万人がそれに従事しています。
 
また国民の多くが英語を話す関係で米国との親和性が高いです。
 
製造業はGDPの18%程度に過ぎず、アジア諸国の中では低い比率です。またアヤラ、SMなどの財閥が経済を支配しています。インフラストラクチャが脆弱で、マニラの交通渋滞、電気代が高い、空港のキャパシティが小さいなどの問題を抱えています。
 
平均年齢は25歳で、世界でも最も若い部類に入ります。
 
観光業はフィリピンの有望産業だと考えられます。2024年の海外からの旅行者到着人数は590万人でした。これはたとえばタイランドの3550万人に比べると少ないです。フィリピンはパラワン、セブ、コロンなどのきれいなビーチに代表される観光資源に恵まれているため、今後の成長余地が極めて大きいです。これと対照的にタイランドやインドネシアのバリ島はオーバーツーリズムになっています。
 
ただフィリピンはとりわけ空の輸送能力が不足しており、これが観光業の成長を阻害しています。具体的にはマニラ国際空港は国際線ターミナルと国内線ターミナルが離れており、しかも国内線のターミナルは航空会社によって別々の場所にあります。これは財閥の利権を利用者の利便性より優先した結果、そうなっているのです。
 
パワラン、シアルガオなどの地方空港も極めて限られたキャパシティしかありません。しかしそれらの空港の滑走路が拡張され、大きな旅客機が発着できるようになると、それは新しい需要を確実に喚起するという構図になっています。だから観光産業の振興のためには滑走路拡張が最も効率の良い投資なのです。
 
フィリピン政府は観光産業の振興に力を入れ始めており、たとえばインド人観光客のビザ要件を緩和するなどの措置を打ち出しています。
 
フィリピンは2026年から2030年にかけて年率6.2%のGDP成長率が見込まれています(IMFのWEO)。これはバングラデシュ、ベトナム、インドなどに次いで高い成長率です。
 
フィリピンのETF(EPHE)はPERが9倍で取引されており、極めて割安です。