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第一次オイルショック再訪 あのとき株価はどうなった?

2025年6月15日 12:26

第一次オイルショックはヨムキプル戦争(第4次中東戦争)がキッカケで発生し、世界経済を巻き添えにしました。今回イスラエルがイランに対して仕掛けた戦争は、1973年の時と同じインパクトを持ちうると考えることも出来る反面、当時とは違う点もあります。そのへんを整理します。

第一次オイルショックは1973年10月6日、ユダヤ教の贖罪(しょくざい)の日で、ユダヤ教で最も重要な休日のひとつに起こりました。222機のエジプト軍の戦闘機がイスラエルの南側のシナイ半島のイスラエル軍の陣地を攻撃し、渡河作戦で1000隻のゴムボートに分乗した歩兵師団がスエズ運河を渡りあっという間に橋をかけ、戦車をシナイ半島に招き入れました。それと同じタイミングでイスラエルの北東側のゴラン高原ではシリア軍が空爆を開始、イスラエルを挟み撃ちにしたのです。
 
イスラエルはあっという間に弾薬を撃ち尽くしてしまい、米国から補給を受けなければ戦争に負けてしまう窮地に追い込まれました。米国はC5-A輸送機を飛ばしイスラエルに弾薬を送り、これを知った石油輸出国機構(OPEC)は「原油価格を一気に70%引き上げる!」と通告しました。また同年9月からOPECメンバー国が毎月5%生産をカットすることでじわじわ供給を絞り込んでゆくことをシグナルしました。
 
米国の株式市場はこれにまったく反応せず、戦争開始後二週間株価は上昇を続けました。しかし原油価格の上昇はインフレを引き起こし、それは政策金利の高止まりを意味し、経済が混乱するという事に投資家が気付いたので、その後、マーケットは-20%下落しました。
 
ここで重要なことは今から振り返ってみると「原油価格を一気に70%引き上げる!」という宣言がマーケットにとって悪いニュースであることは自明であるにもかかわらず、当時の市場参加者は「それでも未だ経済指標には悪影響は出ていない」という理由から強気のスタンスを崩さなかったという点です。相場自体も一直線でつるべ落としのように奈落の底へ落ちていったのではなく、しばしば「下落相場の急騰局面」とも言える反発があり、そのたびごとにあたかも新しい強気相場が始まるかのような期待を市場参加者に与えました。つまり長期ブルマーケットのマインドセットはなかなか払拭できなかったのです。経済指標が明らかに暗転したのは弱気相場入りから1年4ヶ月後です。
 
言い直せば弱気相場の中盤までは景気は堅調で、リセッションの兆候はデータには現れませんでした。月一回程度の頻度で「弱気相場の急騰局面」が現れ、投資家は楽観的なスタンスを改めませんでした。ところがその勢いはすぐ消え、慌てて飛び乗った投資家は「希望のスロープを転げ落ちてゆく」ように損を繰り返しました。
 
さて、現在の米国株ですがトランプ関税で急落した後、4月7日が相場の転換日となり、米国株は今年の高値に肉薄する水準まで戻しました。したがって4月7日が新しいブルマーケットの起点だと考える投資家が多いです。
 
私は現在の投資家のマインドは第一次オイルショック当時のそれと似ており、考えが甘いと思います。「ホルムズ海峡は封鎖できない!」という意見がありますが、完全に封鎖しなくてもタンカーに対する攻撃が加えられれば原油市場は動揺します。マーケットを混乱に陥れるにはそれで十分では?
 
日本の場合、石油の輸入の88%がホルムズ海峡を経由しています。リスク分散が出来てないです。50年前の教訓が、ぜんぜん生かされてないのです。
 
教訓が生かされてないという点ではアメリカも同罪です。なぜなら現在のアメリカの戦略備蓄は過去40年で最低だから。
 
もちろんアメリカにはシェールがあります。これが第一次オイルショックの時とはファンダメンタルズ的に大きく違う点です。つまり時間をかければアメリカは増産することが出来るわけです。
 
しかし「大きくて美しい財政法案」をあと10日くらいのうちに上院で可決しないと連邦債務上限引き上げ問題が再燃し米国はテクニカル・デフォルトになるリスクが未だ残っていますし7月9日には相互関税の期限が到来します。このように予定表的には超えなければいけないハードルが沢山あるわけです。
 
米国株のバリュエーションは再び過去最高に近い水準に迫っており、お買い得感はまったくありません。
 
サマーラリーはもう終わりました。