南海泡沫事件とミシシッピ・スキーム
2025年2月6日 06:08
南海泡沫事件とミシシッピ・スキームは18世紀の英国とフランスを揺るがした投機バブル事件でした。
1701年にスペイン・ハプスブルグ家が断絶し、スペイン王位を巡りフランスのブルボン家と神聖ローマ帝国が対立しました。いわゆるスペイン継承戦争です。
その際、スペイン側についたのはフランス、神聖ローマ帝国側についたのはオーストリア、オランダ、イギリスです。
フランスのルイ14世は多大な戦費を費やし財政難に陥りました。英国はオーストリア側についたのですが、こちらも国庫を圧迫しました。
まずフランスですが、1716年にスコットランド出身の金融家ジョン・ローがバンク・ジェネラルを設立し、紙幣を発行しました。そのうえで1717年に北アメリカのミシシッピ川流域での貿易独占権を掌握した会社、ミシシッピ会社を設立しました。これがミシシッピ・スキームと呼ばれるものです。
北米の豊富な天然資源から莫大な利益が得られるという謳い文句でミシシッピ会社の株価は短期間で暴騰しました。
一方、英国ではスペイン領南米との独占貿易権を与えられたという触れ込みで南海会社が設立されました。スペイン継承戦争で増大した英国の国債発行を南海会社に買い取らせ、その見返りに有利な特権を与えました。投資家は南米との貿易独占権で同社は莫大な利益を上げるだろうと考えたわけです。
しかしフランスのミシシッピ会社はルイジアナ植民地での開発に手こずり(一説にはワニに社員が喰われたという都市伝説もあります)バリュエーションが高くなっていた株価に比べ、実体がともなってなかったため、やがて投資家は不安から同社株を投げ売りし、株価は暴落、沢山の投資家が財産を失い、主宰者であるジョン・ローはほうほうの体でフランスを離れました。
同じ頃、南海会社も高いバリュエーションに比べて利益は僅かであり、投資家がこれを不安視し、株価が大暴落しました。多くの投資家が大被害を被ったのですが、その中にはアイザック・ニュートンのような著名人も含まれていました。
当時は現代ほどコミュニケーション・ネットワークが普及しておらず、ニュースが伝わるのは遅かったのですが、ミシシッピ会社と南海会社は同じ頃に様子がおかしくなり、ほぼ同じタイミングで暴落しました。