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ラテンアメリカの経済と株式市場

2025年1月21日 00:55

1970年代、欧米金融機関が南米諸国に大規模な貸し込みを行った背景には1973年の第一次オイルショック以降、中東諸国に原油価格高騰による巨額の余剰資金が蓄積されたことが起因しています。

これらの“ペトロダラー”は欧米の金融市場に流入する形となり、欧米の銀行には投資・融資を行うための資金が潤沢に存在する状態になりました。

銀行としては、この大量の余剰資金を運用する必要があり、その受け皿として成長期待や資源開発需要などを背景に、高い金利でも借り手がいた南米諸国が選ばれたのです。

ブラジル、アルゼンチン、メキシコは工業化やインフラ整備など、経済成長を目指すために巨額の資金需要を抱えていました。また、冷戦下で米国や欧州と政治的に親和性がある軍事政権・権威主義政権が多かったことから「政府が資金返済を保証するだろう」という期待もあり、リスクが過小評価されやすい環境でした。

ファースト・ナショナル・シティ・バンクのウォルター・リストンは「国というのは企業のようには倒産しない。なぜなら国は税を課し、いつかは返済する力があるからだ」という趣旨の発言をしました。これは “国に貸すことは安全だ”という認識が銀行家たちの間で広まっていたことを象徴する言葉としてよく引用されます。

シティコープは1980年代に入ると不良債権を大量に抱え込むことになりました。1984年にCEOとなったジョン・リードは**「バランスシート革命」**と呼ばれる大規模な再建策を打ち出しました。こうした改革を通じて、シティは1980年代後半から1990年代にかけて徐々に回復基調に乗り、リテール金融とグローバル展開を強化しました。

ブレディ・ボンドは1989年に当時の財務長官ニコラス・ブレディが打ち出した「ブレディ・プラン」に基づき、銀行の新興国債権を債券(ボンド)に転換する試みでした。

米国財務省が裏付けるゼロクーポン債を担保とすることで信用度を高め、一定の金利引下げを受け入れ、そのかわり銀行は不良債権を流通する有価証券として引き続き保有することが可能となりました。これがラテンアメリカ諸国のデフォルトリスクに対する市場参加者の不安の緩和につながり、海外投資家は再びラテンアメリカに注目しはじめました。
 
1988年に大統領となったメキシコのカルロス・サリナスは国有企業の民営化、規制緩和、外国資本の受け入れ促進などを行い、外国資本の呼び込みに成功しました。これがラテンアメリカ株式ブームにつながりました。
 
1994年に北米貿易協定(NAFTA)が発効したのと同じ日、メキシコのチアパス州で武装蜂起が起きました。米国では金利が上昇し、それも国際機関投資家が新興国から資金を引き揚げる原因となりました。
 
結果としてメキシコペソ・米ドルの固定相場が維持できなくなり1994年12月にペソ切り下げ(いわゆるテキーラ危機)が起きました。
 
テキーラ危機はその他のラテンアメリカ諸国へも飛び火しました。1999年にはブラジルがレアルの切り下げを余儀なくされました。2001年アルゼンチンはドルとペソの1:1の固定相場を維持できなくなり、デフォルトしました。これらを通じて新自由主義的改革への批判が高まりました。
 
ベネズエラでは1999年にウゴ・チャベス大統領が誕生しました。2003年、ブラジルでは労働者等のルラが大統領に選ばれました。アルゼンチンでは2003年にキルチネル政権が生まれました。これらは全て反ワシントン・コンセンサス的な政治の流れと捉えることが出来ます。
 
2003年頃から急成長している中国が世界のコモディティ市況を押し上げたことからBRICsブームが起きました。
 
ラテンアメリカ株式の人気の中心はメキシコからブラジルへと移ってゆきました。
 
2023年の大統領選挙でアルゼンチンの経済学者ハビエル・ミレイが勝利し、急進的市場重視主義(リバタリアン)路線を打ち出し、**「小さな政府」**を唱えました。通貨ペソをゆくゆく廃止しドル化することを主張、アルゼンチン中央銀行(BCRA)も廃止してしまえ!と唱えています。法人税、所得税の引き下げ、あるいは撤廃、国営企業の民営化なども主張しています。さらに社会保障・社会福祉制度は「浪費」とみなし、民間の保険への切り替えを主張しています。