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フリップカートのIPOでインド株式市場が注目される

2021年1月8日 19:25

今年「インドのアマゾン」というあだ名がついているフリップカートが新規株式公開(IPO)されると噂されています。

フリップカートのオーナーはウォルマート(ティッカーシンボル:WMT)で、昨日ゴールドマンサックス(ティッカーシンボル:GS)のテクノロジー・バンカーが同社のCFOに抜擢されました。そのことから考えてもフリップカートがIPO準備を急いでいることがうかがい知れます。

フリップカートがIPOされればインドの株式市場に対する一般投資家の関心も高まると予想されます。

代表的なインド株ETFはアイシェアーズMSCIインドETF(ティッカーシンボル:INDA)、ウィズダムツリー・インド収益ETF(ティッカーシンボル:EPI)、アイシェアーズMSCIインド小型株ETF(ティッカーシンボル:SMIN)などになります。

インドの魅力は人口動態的に若者の数が多い点でしょう。

インドでは歴史的に企業の資本に対するアクセスが悪かった為、資本を無駄にしない態度が身についています。インド企業の資本収益率は中国のそれをはるかに上回っています。

インド企業はおしなべてバランスシートが健全であることも魅力です。

インドの懸念材料としては石油輸入依存度が高い点です。70%を輸入に頼っています。

インドは1947年に英国の植民地から独立しました。長い間、英国の植民地経営に苦しめられ、マハトマ・ガンジーの根気強い独立運動の末に自由を勝ち得たエピソードは皆さんも良くご存知だと思います。

資本主義経済の過酷な側面を厭というほど経験してきたので、独立にあたって英国や米国の経済運営のモデルを導入するのには抵抗がありました。そのためソ連に経済運営のお手本を求めることになりました。

インドは英国統治下すでに私企業が存在していたので、その上に計画経済の命令システムをそのまま載せたのは無謀なやり方でした。こうして出来上がった、市場経済と計画経済とを無理矢理継ぎ合わせたシステムのことを「混合経済」と呼びます。

さて、独立直後のインドの経済は農業、漁業、などの第一次産業の占める比率が経済全体の58.9%でした。さらにジュート、綿花、テキスタイルなどが10.8%を占めていました。典型的な農業国と呼んでいいと思います。

歴史的にインドの土地所有制度は複雑でこれが生産性の向上を阻む一因となってきました。

インドはソ連型の「5ヵ年計画」を採用、第1次5ヵ年計画は1951年にスタートしました。

このときのプランでは農業改革に重点が置かれていたのですが、その成果は限定的だったと思います。

これ以降、インドの5ヵ年計画は重工業の育成や所得の向上などに重点を移してゆくのですが、所期の成果が達成出来たケースは稀で、殆どが期待はずれに終わったと言っても過言ではないでしょう。このことは1951年から1979年までのインド経済の平均成長率が3.1%いう低い水準にとどまったことからも確認できます。

事業をおこしにくい環境をわざわざ政府が演出した為、新規参入が無く、これらの私企業は「非効率でも市場によって淘汰されない」という歪みを生じました。これらの私企業は経営の効率化、利益の追求を忘れ、ひたすら官僚や政治家に取り入り、自分の既得権益を擁護することに腐心するようになりました。

こうなると民間部門に雇用の創出を期待することは無理になります。そこで政府は失業者を雇用するため、どんどん政府部門で彼らを雇いました。これが官僚主義の肥大化の原因となり、経済の非効率化、生産性の低下、そしてその結果、腐敗や不正が横行する事態に発展しました。

当時のインド政府の貿易に対する考え方はひとことで言えば「貿易は少なければ少ないほどよい」というものでした。英国の植民地として過酷な収奪の対象とされたトラウマが交易というものに対して不信感を抱かせた結果、そういう考えに到達したのでしょう。従って、インドはその国の大きさに比べて輸出部門の果たす役割は常に小さかったです。むしろ、保護関税によりわざと外国からの競争を断つ、という考え方でしたから擬似鎖国状態と言ってもよい状況だったわけです。

さて、独立直後のインドの財政は赤字ではありましたが、その赤字幅は無視できる範囲内でした。しかし、非効率な経済を放置したこと、旱魃が起きる毎に穀物や食料品の価格統制を強化したことで、それらが闇市、つまり地下経済に流れてしまい、それが常態化するに至って政府は段々税収の不足の問題に悩まされ始めます。

不足分を補うため、借り入れを増やした結果、インドの財政赤字は1970年代から80年代にかけて急速に悪化します。80年代からは外国からの借款に依存し始めます。

1990年8月に勃発したイラクのクウェート侵攻はインド経済に決定的な転機をもたらします。インドは石油を輸入に頼る部分が大きいですから、原油価格の高騰が収支を悪化させました。その上、中東に出稼ぎに出ている海外労働者からの送金が外貨獲得に大きな役割を果たしていたのですが、戦争で出稼ぎが出来なくなってしまったのです。

この頃までにはインドの財政赤字はGDPの8.4%に達していましたからインドがあっと言う間に債務危機に陥ったのは容易に想像がつきます。

インド政府はこれまでの経済的な「擬似鎖国」を解き、外資のインドへの進出などを認める決定を下します。この先陣を切った企業のひとつがエンロンです。同社はダボールに巨大な発電所を建設するプロジェクトを提案、工事に取り掛かりますがインドの国民の外資に対する不信感は根強く、デモ、サボタージュなどが相次ぎます。この世論の沸騰に乗じて野党のBJPが政権を獲得、BJPはこのプロジェクトの差し止めを指示します。こうしてインドの市場開放はのっけから暗礁に乗り上げてしまったわけです。

しかし、インドの政策は失敗ばかりではありませんでした。例えば、インドの初代首相、ジャワハルラル・ネールが1951年に創設したIIT(インディアン・インスティチュート・オブ・テクノロジー)は大変優秀な理工系の学生を大量に送り出しました。問題はそういう高度な教育を受けた優秀な学生が、自分の才能を生かせる雇用の場がインド国内には存在しなかった点です。

この為、それらの学生の多くは印僑として海外に脱出し、その少なからぬ者がシリコンバレーに根を下ろしました。

さらに、このブームで世界各地に光ファイバーの敷設ブームが起こりました。キャパシティーがどんどん追加された為、価格競争が起き、通信コストは大幅に下落しました。廉価で信頼性の極めて高い通信キャパシティーがふんだんに存在することが海を越えたアウトソーシングを可能にし、ITアウトソーシングやBPO(ビジネス・プロセス・アウトソーシング)の隆盛を招きます。

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インドは連邦共和制の民主国家です。立法、司法、行政の三権分立がきちんと確立しており、民主主義が国民にしっかり根を下ろしています。

憲法制定は1950年、B.R.アムベドカー博士が主宰する憲法草案コミッティーにより作成されました。なお、余談になりますが、同博士は不可触民(Dalit)のカーストに生まれ、米国のコロンビア大学で学位を取得し、カーストを重んずるヒンズー教から仏教に改宗したことで知られる人物です。インドの憲法がカーストを排している事はこの点からも伺い知れます。ただ、社会習慣としては現在でもカースト制度は生きています。また、インドは憲法の改正を頻繁に行なう国として知られています。

議会は上院(Rajya Sabha)と下院(Lok Sabha)の二院制です。代表的な政党としてはコングレス党(Indian National Congress)、野党の最大勢力であるBJP(Bharatiya Janata Party)、共産党などがあります。

コングレス党は1885年に当時植民地の支配者だった在留英国人たちが政治討論のソサエティーとして始めた集まりが、のちに政党となりました。マハトマ・ガンジーが、本来、エリートの圧力団体に過ぎなかった同党を大衆運動の基盤として造り変えたことが今日の由緒正しいコングレス党の起点になりました。

インドは多宗教、多言語、多民族の国家です。宗教の内訳は:

ヒンズー教 82%
回教 12%
キリスト教 2%
シーク 2%
仏教 1%

などです。一方、言語では公用語はヒンディー。英語も公用語扱いですが英語を話せる人は少なく、英語を主として話す人口はインド全体の0.3%、セカンド・ランゲージとして英語を話すのは全体の1%未満です。このほか、ベンガル語、グジャラット語、タミル語、カシミール語など多様です。次に民族を見ると:

インド・アーリア系 72%
ドラビディア系 25%
モンゴロイド系ほか 3%

となっています。

このため、国民の利害をまとめるのは単一言語、単一民族国家である日本よりかなり難しいと言えるでしょう。

加えてインドにはカースト制度という伝統があります。カーストはポルトガル語のcasta(種族)から来ています。

インドの独立以降、カースト制度は外見にはかなり変化しています。インドの憲法がカーストに基づく差別を禁止しているのはその一例です。しかし、カースト制度は何百年も続いてきた習慣で、現在でも人々の行動やものの考え方、社会や家庭の形成において根強い影響力を持っています。

カーストの影響はインド人がものを考える時、1.上下の関係(ヒエラルキー)で捉える、2.浄・不浄という観念で捉える、という2つの軸を与えているといえるでしょう。

上下の関係で言えば、例えばビジネスの場面で上司をchachajiという敬称で呼ぶのはそのひとつの例です。

一方、浄・不浄の観念はカーストに基づいており、「身分の高いものは浄、身分の低いものは不浄である」という先入観があります。例えば身分の高いBrahmanは身分の低いMehtarより清潔であるとされます。身分の低いものが調理した食事を口にしたり、身分の低いものが汲んで来た水を飲むと身分の高いものが「不浄になる」という考え方は今でも根強く残っています。

こういう習慣が出世や、婚姻など、様々な局面で影響してくるのは言うまでもありません。例えば、インドの教育水準は国民全体の平均でみると中国などのエマージング諸国より低いです。その一因は低いカーストに属する子供達の場合、折角、学校に通い始めても生活が苦しいので働くためにドロップアウトするなど、社会・経済的な理由にあるとされています。

インドはこのように多民族、多言語、多宗教で、さらに階級意識が強く、社会的モビリティー(地位の向上)が低いですから、この国の教育水準とか生活水準を全体的に「底上げ」するのは並大抵の努力ではないことが察していただけると思います。

その一方で、例えば英語が話せてコールセンターなど新しいタイプの職場に就職できるというのはカーストの差別を克服する数少ない機会を提供しています。われわれ日本人の感覚で言えばコールセンターの仕事は単調で退屈だから、インドでも「高等な教育を受けた人間がコールセンターの仕事に就くと幻滅する」などという議論をするアナリストや経済学者が居ますが、この考え方は現地の人に言わせると間違っているそうです。ITアウトソース企業やBPO(ビジネス・プロセス・アウトソーシング)、製薬業界などのインドのニュー・エコノミーの雇用機会が社会的モビリティーの数少ない提供者である以上、今後も優秀な学生をどんどん集め続けることは可能でしょう。

インドにはインディアン・インスティチュート・オブ・サイエンス(1909年創立、バンガロール)、インディアン・アカデミー・オブ・サイエンス(1934年創立、バンガロール)、インディアン・インスティチュート・オブ・テクノロジー(1951年創立、全部で5箇所にある)など、水準の高い理工系の大学が沢山あります。この原因のひとつは初代首相、ジャワハルラル・ネールが科学の振興に大変熱意を持っていたことによります。